今日は月末です

今日で7月が終わりなので、いろいろ月末定例の作業をしなければならない。

一つはmixi のコミュニティにトピックを立てること。これは毎月1日に「ぺたぺた」という風習があるのでその準備をするのである。ぺたぺたの歴史は意外と長いのだ。いつから始まったか後で調べておこう。

この作業は地下鉄の中から実行した。相変わらず、駅に停車したときだけ接続できるというIT未開文明地域なので、駅に着いたら1ページずつ先に進むといった信じられない手順で作業をするのだ。駅に着いた瞬間に docomo の接続をわざと切って接続し直した方が使える時間が長くなることに気付いた。大した差じゃないけど。

ちなみに、この文章も地下鉄に乗りながら書いているのだが、WordPressでサーバーに接続しながら何か書いているとすぐにアクセスが発生するらしくて、うまく使えない。だから、エディタに本文を書いている。最後に安定したところに戻ってから投稿するしかない。

さて、もう一つの恒例の作業は、Jugem のアクセスログを保存すること。保存して何の意味があるのかと最近思うのだが、記録があれば後でグラフを書くこともできるし。

それにしても、今はギガバイトのディスクスペースを無料で使える時代なんだから、ログなんて永久保存してくれてもいいような気もするのだ。apache のアクセスログ全部とかいうのは嫌だとしても、毎月の集計結果なんて大したことはないのだから。

公式には7月2日に会社が設立されているので、一応約1か月という区切りになる。1日に登記できなかったのは1日が日曜日だからだ。婚姻届は祝祭日も受け付けてくれるが、会社設立はそうは行かないのだ。

とはいっても、7月は支出のみで会社としての収入はゼロだ。新規の仕事はないし、今まで受けていた仕事は個人契約なので、会社の収入にならない。うまくやればなるのかもしれないが、定かではない。税理士事務所からは何通かDMが来ていたので、どこか顔を出してみるといいかもしれない。帳簿の仕分けもしていないし、全部一人でやるのは面倒ですこと。

もっとも、個人でやるのも会社にしてやるのも、このあたりの仕事には特に差はないはずなのだが。

今日はちょっと疲れたので日記はお休みします

だったら書かなければいいのにとは思うが、とりあえず毎日書いているのが途切れるのはもったいないので。

事前に書き溜めておいて、ネタを小出しにするという方法もある。昔、パソコン通信で毎日書いていたときは、そのようなこともしたのだが、この日記は本当にその日に書くようにしています。

 

今日はちょっと疲れました

まだ仕事が残っているのでこれからなんだけど、昼間、ちょっとぐったりした状態で余計に寝てしまった。今も疲れは残っているのだが、こういう時には凄腕の仲間がいて欲しい。

ところでオリンピックなんだけど、柔道でいろいろ波乱があったり、番狂わせがあったりで面白いのだが、確かに「運も実力のうち」という言葉もある。しかし、たまたま勝てたというのが本当に実力といえるのか、そういう疑問も持つべきではないかと思う。

例えば柔道なら、1本勝ちでトーナメントではなくて、例えば3本先に取った方が勝ちとか、そうするだけで今よりも断然実力が反映されると思うのだ。偶然勝てることはあっても、偶然3回勝てるようなことは少ないからだ。

今の柔道を試合を見ていると、例えば砲丸投げや走り高跳びを一発勝負で決めているような感じがする。確かに番狂わせも面白いのだが、何かギャンブルを見ているようで、どうも健全な気がしない。

今朝は何か変な夢を見ました

変ということもないのだけど、映画みたいな感じでサイバーテロに立ち向かうような夢。作戦が結構意外だったので、小説に使えないかなと思った。

かなり前に livedoor ブログで小説を書き始めて中途半端になっているのだが、実はネタ帳は着々と書き続けていて、時間と機会があればちゃんとまとめようと思っているのだが、なかなかそういう機会がありそうでない。pcを新しくしてから、また少しずつ書き足し始めている。ある程度貯めてから小出しにしないと、続けるのは大変だということが分かっている。

プログラミングがストーリーに絡んでくるような小説って、どの程度の読者層があるのだろう? プログラマーなら面白いかもしれないが、プログラミングに興味がなければ何が面白いのか分からないとか。小説に出てくる何人かはモデルっぽい人がいたりする。実在のプログラマーというのは案外クセがあって小説並みに面白いのだ。

 

Windows を起動・再開するときに Copyright が表示されます

日本の著作権法でも、プログラムの著作物という言葉がわざわざ使われていて、プログラムは著作物の一つと認識されている。しかし、プログラムは著作物なのだろうか。誰が書いても同じようになるものに対して著作という言葉を使うのは妥当だろうか。

そのような議論が、プログラムが市場に出回り始めた初期の頃からさかんに行われた。実際、アルゴリズムのような手順そのものは著作物ではないとするのが通説となっている。

プログラムはその原理を使うだけでなく、そこに創作性、オリジナリティが見られるものとして初めて著作物としてみなされるのである。実際にプログラムを作った経験がある人なら体感的に理解できると思うが、極めて簡単なロジックを実装するだけであっても、プログラムというのは実によく個性が表れる。その意味でもプログラムが著作物だというのは理解できる。

しかし、Windows が Copyright を表示するとき、それは何を意味しているように見えるだろうか。私が最初に頭に思い浮かべるのは、勝手に copy するなという現実的な話だ。初期の市販OSはあまりにコピーされすぎた。だから copyright という複製権の主張がいかにも納得できるのである。

今日はまた随分暑かったですね

仕事場に着いたら、置いてあるpcが異音を出していた。何か故障の前兆かなと思ったのだが、冷房を入れているうちに静かになった。冷却用のファンがフル稼働していたのかもしれない。パソコンの中にはセンサーがあって、温度が上がるとファンを回して冷却するようになっているから、ファンの音で室温が何となく分かるという仕組みになっている。

ていうかモニターするソフトを使えばCPUの温度が分かるけど、室温は分からないか。

パソコンに温度センサーがついていて、何かの方法で室温が推測できるとしたら、それをインターネットで収集して室温マップとか作ると面白い結果が出るかもしれない。マイクやカメラは最近のパソコンには標準でついている。スマホはどうなんだろう?

 

今日も帰宅途中でパソコンを使ってみました

電車の中は貴重な仕事時間なのだ。そのためには座席に座る必要があるのだが、わざわざ遠回りまでして確実に座っている。30分立っているよりも、50分座っていた方が生産的活動ができるし、疲れていたら寝ることだってできる。

もちろん、そのために必要な切符を購入している。よく使うのは都営一日乗車券というもので、700円払って、都営地下鉄と都バスが一日何回でも乗り放題という切符である。

この切符を買うときに、チャージをしている人に待たされることがよくある。チャージというのは、つまり、SUICAやPASMOのような電子マネーに入金するのだ。

実はその駅は、3台の自動券売機があって、両脇2台が切符も買えるタイプで、真ん中の1台はチャージ専用の機械だ。厳密にいえば券売機ではないのかも。そして、なぜか不思議なことにチャージする人が、両脇の券売機でチャージしたがる。真ん中の機械は誰も使っていないのだが、そこでは切符を買うことができない。

真ん中の機械が混んでいるというのは見た記憶もないのだが、なぜあまり人気がないのか分からない。単に使い慣れていないとか、そのような安易な理由なのかもしれない。切符を買いたい人にとってはいい迷惑なのである。

今日は外出してきました

バスに乗っている時間が30分程度だと思うけど、腰が少し痛い状態なので、ずっと立っているのがちょっと辛い。こういう時に限って座席が全然空かない。結局、終点の1つ前で空いたけど、殆ど意味がなかった。

その後、探した本もなかったし、結構散々な状態。でも、大型書店というのはつい長居してしまう。Amazon で一覧を見ているのと違って、誰も注目しないような本でもちょっと手にとって中を見たりできるのがいい。

Amazon のようなネットショップも立ち読み機能はあるのだが、書棚にずらっと並んでいるという状態にするのが案外難しい。例えば岩波文庫を全部タイトルだけ表示して、そこから適当に手に取るような使い方はできるのだろうか? 今、試しに「岩波文庫」で検索してみたら、検索結果は10,919件と出たのだけど、1ページに表示されているのは20冊だけである。そうではなくて、200~300冊並んでいる状態から面白そうなのを選びたいのだ。

この「面白そうな」というのも案外曲者なんだけど。

ただし、検索はやはり Amazon、というか、Web が強力である。ヒントになるようなキーワードからたちまち目的の書籍を絞り込んでくれる。

今日はいつもより少し後の電車に乗りました

30分程度だが、雰囲気が激変していた。やはりラッシュ時にひっかかるかどうかは重要ということだ。

サマータイムは1時間進めることで太陽の出ている時間を有効利用しようというものだが、日が暮れるのだって遅くなるのだから、1時間遅らせるというのでもいいんじゃないか? 1時間早く出勤して1時間遅く退社…って夏地獄か。

逆に夜勤というのもいいかもしれない。夜は照明などで電気が余計に必要に思えるかもしれないが、むしろ夜の方が気温が低いので空調コストが節約できそうだし、そもそも電気が比較的使える時間帯だから、無駄に使えるといったら言い過ぎかもしれないが…。

まあでも生活のリズムというのもあるので、夜勤というのは非現実的かもしれませんね。ただ、私は若い頃からプログラマーだったので、夜勤というか徹夜が現実的だった。例えばシステムの保守は業務が終わってからでないとできない。その代わり、12時までに出勤すれば遅刻にはならなかった。

出勤というか、朝日が出るまでいろいろやって、その後昼まで机の下で寝るんだけど。今も似たような生活をしているような気がする。

 

今日は近くのドトールに行ってきました

リニューアルされていて、店内が綺麗になっていたのと、完全に分煙になっていて、喫煙ルームは隔離されているので禁煙エリアには全く煙が入らないようになってた。最近、このように完全に禁煙している店が増えてきたと思う。残念ながら、オフィスの近くのドトールは壁がないので形式的な分煙なのだけれど。

入り口のところに Wi-Fi 対応のシールが貼ってあったけど、最近これも増えてきたような気がする。もっとも、私の場合は docomo の FOMA を使って接続することが多い。結局、その方がスピードが出ることが多いからだ。Wi-Fi の方がスピードが出てもよさそうなものだが、レスポンスが悪い。大勢使い過ぎているのではないかと思う。

スマホが爆発的に普及して、Wi-Fi などのインフラが追いついていないという意見はあるようだし、事実そうかもしれないが、ちょっと気になっているのが、例えば地下鉄の電車の中だ。地下鉄走行中は無線LANが使えないところが多いのだが、実際に pc の無線LANスイッチを入れてみると、いくつも接続先が表示されるのである。

他のpcやWi-Fi アダプタが接続可能になっているのではないか。

FON というサービスがあるけど、このような他のpcをうまく使うことで、裏の大規模なネットワークが構築できそうな気がする。すれちがい通信でいつも誰かが近くにいるような感じだ。うまいことルーティングしてやれば、案外何とかなるような気がする。

もちろん地下鉄の中だったら、外に繋がるようなルートがないと意味はないのだけど。