発見力は重要ではないかと考えました

最近買った雑誌に鳩山邦夫氏の話が出ていた。

学習院初等科中学年の社会のミニテストでひどい点数をとった後の話である。ひどすぎるので、親から教科書を読みなさいと注意されたというのだが、

そこで邦夫氏は、社会科の教科書を開き、試しに数年後に開通を控えていた東海道新幹線の東京~新大阪間の所要時間やインドネシアの島々の名前を覚えた。すると、ミニテストにその問題が出て、簡単に100点が取れた。邦夫氏は「なるほど、勉強すれば満点が取れるのだな」と、勉強の効用に気付いたという。

(プレジデントファミリー 2013.09 p.126、「4代続けて全員東大」鳩山家の教育方針)

これを読んでバカじゃないのと思った人もいるのではないか。勉強すれば満点が取れる、当たり前だろ。特に某大学入試掲示板に投稿している、平均的な大学を難関だといって狙おうとしているあまり学力がなさそうな受験生なら、そんな当たり前のことは知っていると言いそうだ。だから勉強しようと思うのに、モチベーションが上がらない、勉強できないから困っているんだ。

まあそれはそうとして、しかし、ここで注目すべきはそれに自分で気付いたという発見力ではないかと思う。

勉強すればテストの点が上がる。言ってみれば至極簡単なことだが、それは常識だという人は一体どこでそれを発見したのだろうか? 言われて気付いた人が圧倒的に多いのではないだろうか。自分で発見したという人はどれだけいるのだろうか。それは本当に当たり前で片付けていいものなのか。

この雑誌には、他にもいろいろ勉強術が出てくる。いわゆる受験ノウハウ本に出てくるような内容で、目新しいものではない。予習をちゃんとするとか、分からないところだけを書いておくとか、当たり前といえば当たり前のことばかりだ。

ただ、記事を見た感じから想像すると、どうもこの雑誌に出てくる東大生達は、そのノウハウを自分で開発・発見しているような感じがするのである。

邦夫氏が「勉強したら満点が取れる」という法則を自分で発見したように、予習すれば授業が無駄にならない、分からないところだけノートに書いておくと見直すときに役立つ、それを発見する力があったのではないか。この発見力というのが、問題解決のときには極めて重要なのである。もちろん入試のときにもそうだ。

今日は帰省しています

結局自宅に置いてあるサーバーには外から接続できないので、念のためルーターの電源も切ってきた。外部から侵入されると困ると思ったからだが、そもそも接続できないのに侵入の心配をする必要があるのだろうか?

外からアクセスできないので自宅の監視カメラもアクセスできない。監視カメラがあってもあまり監視する気がないのであっても仕方ないのだが、これも使えないとそれはそれで落ち着かない。

ボタンを押すのが面倒なことがあります

先日、大阪で、コンビニのレジで年齢確認のためにタッチパネルのボタンを押すときにこれを叩き壊して逃げた人が逮捕されるという事件があった。イラっとしたのでやったらしいが、その程度のことでレジを破壊するという思考回路が分らない。ただ、これに対して、イラっとする気持ちは分るというコメントを書いているブログを見つけたのでちょっと考えさせられた。明らかに成人なのにわざわざ年齢確認のボタンを押させるというのは何事かというのだ。

確かにそう言われてみたら、必要ないのにボタンを押させているような気もする。コンビニで公共料金を支払う時に、金額確認のためにボタンを押してくださいと言われることがある。いつも無条件にボタンを押すのだが、これも何のためなのか分からない。もし押すのを拒否したらどういう扱いになるのだろうか?

 

ロジカルシンキングというのはそんなに難しいのでしょうか

Yahoo!知恵袋のようなところの投稿が非論理的なのはまだいいとして、新聞記事だとか、国会議員の発言とか、知的レベルが高いはずの人の発言内容がロジカルでないというのはどういう現象なのだろうか。いや、Yahoo!知恵袋の知的レベルが低いと言っている訳ではないのだが。

最近の投稿だと、学歴社会は崩壊したというような主張があった。その根拠なのだが、テレビで慶應卒でアルバイトの人が紹介されていたというのである。慶應でも就職できないのが現状ならそれは学歴社会の崩壊だ、とでも言いたいのだろう。

ロジカルシンキングのできていない例として、帰納法を十分な検証なしに使うパターンがある。帰納法は事例から法則を導き出す手法なので、その事例が一般的であることを確かめるなど、適用に注意が必要である。特別な事例だけ使って、だから一般的にもそうだ、と主張されても困る。

先の例では、慶應卒の人の大部分が就職できないというような状況でもあればともかく、たった一例をもって全体もそうだという結論を導いている。これは根拠のない汎化とでも言うべきもので、そもそも論理的に全く成立し得ない。帰納法以前の問題だ。残念ながら、Yahoo!知恵袋にはこの種の主張がよく見られるようだ。

しかし、実は先の例はそういう話ではないのである。その紹介されていたというテレビ番組を確認してみると、その慶應卒のアルバイトの人は、卒業したときに大手IT企業に就職していたことが分ったのだ。半年で退職して、それからアルバイトを始めたらしい。おそらくこの人は慶應卒という学歴をアピールして、楽々就職できたのだろう。根拠のない汎化すら成立していないのである。

このように隠された否定的条件があると騙されてしまうことがある。アルバイトをしているという表現から就職できなかったという結論を勝手に想像する人は多いかもしれない。

 

今日は立春です

節分の翌日だから当たり前ではあるが、割と暖かい感じの一日だった。とはいっても新宿の空は怪しい雲が出ていて不気味ではあったが。

カフェに入ったら結構混んでいて、並んで順番が来たときに、店員さんが「お席の確保は…」というので、いやまだと答えると、お先にお席を確保してくださいとかいう。困ったものだと思って振り返ったら、ちょうどそこに空席があったのでそこに鞄を置いたらニコっと笑われてしまった。この笑顔がなかなかよかったので、こちらも何か楽しい気分になった。こういうちょっとした気持ちがその日の気分を変える。笑顔というのは怖い。

ところが、この席の隣のバカップルの馬鹿ぶりが凄すぎて、笑いをこらえるのに必死だった。全くもう。今日はは笑いデーだったのかもしれない。

TSUTAYAでマンガを借りてきました

図書館から借りた本は返却期限を忘れてしまうことがあるのだが、TSUTAYA は前日にメールを送ってくるので忘れずに済む。忘れると遅滞料金が加算されるので、気合の入り方が違うのかもしれないが。

図書館のシステムがupdateされるということで、年末年始の休館が少し長くなっている。返却前の連絡サービス等が追加されると助かるのだが。

書店でポイントカードが見つかりませんでした

ポイントがもうすぐ失効するという連絡があったので本を買いに行ったのだが、レジで清算するときにポイントカードが見つからない。後でポイントを加算できるようなレシートを発行してもらえたが、ポイントが使えなかったので目的が達成できていない。後で探してみたらちゃんと財布に入っていた。何だったのだろう。

ポイントカードのようなものは個人が特定できるIDさえあればいいのだから、原理上は、世界中の人間にユニークなIDを割り当てる仕組みがあれば、誰でも1枚カードを持つだけで済むのである。他人のIDを使うという犯罪は発生するかもしれないが、たくさんカードがあっても同じことだろう。カードの入った財布が盗まれたときに、1枚だけ再発行すれば全部対応できるのでかえって安全で便利になるような気がする。

ではそのような世界中の利用者にユニークなIDを割当てる仕組みがあるかどうかだが、もちろん今はないだろう。そのうち、Facebook や YouTube のIDがそれに代わるような価値を持つかもしれない。

自宅のサーバーをUPS経由にしました

UPSが1台余ったので、自宅のサーバーの電源をこれから取りたい。という話の続き。

その前にサーバーを全て shutdown しなければならない。Xen が動いている状態で強制終了すると起動しなくなって大変だということが経験的に分っているので、慎重に確実に停止させてから電源を配線し直した。今回は全て手順通りに停止できて、手順通りに起動できた。

電源ケーブルはきれいに巻いてはいけないという定説がある。発火の原因になるというのだが、過電流で発熱したときに、ケーブルが束ねてあると熱が逃げないから危険だということだろう。電流が流れるものを巻いたらコイルになってしまうから、何となくその意味でも嫌な感じはするのだが。

その後、プリンタが故障するというハプニングが発生。ネットで調べるとどうみても故障で、修理に7000円程度かかるらしい。ということで、仕方ないので修理に出す…のではなく、1万円以内で買えるプリンタを近所で買ってきた。今日中にプリントしたいのである。

買ったのはキヤノンのPIXUS MG3230。店に山積みになっていた。時間もないので何も考えずに、たくさん売ってるものなら大丈夫だろうと根拠のない推測で選んだ。店頭に箱を積んでおくとこういう理由で買う人もいるのである。買ってみると無線LAN接続できるプリンタだったからかなり便利なのだが、設定にいろいろ手間取った。今はもう書く気力がないので、また明日。

11月になりました

んなことは言われなくても分っていると言われそうだが、今日からレンタルオフィスが使えるのだ。しかし事情により出かけることができないので、明日の朝に鍵を受け取りに行くことになっている。何にしろ初日というのは気分がハイになるものである。

先日、地下鉄の券売機、というかICカードのチャージをする機械の前で、お年寄りが操作が分らないので困っているところに遭遇した。結論から言えば、この方たちは、タッチパネルの操作が分っていないのである。例えば、ボタンを押してくださいと画面に表示されたときに、ディスプレイに表示されている画面上のボタンではなく、本物のボタンを探そうとしてしまうのだ。

UIの基本としては、このような場合には押すべきボタンの画像に何かアニメーションを加えて注視させるように工夫するものだが、この画面にはそのような処理もされていなかった。画面に表示されているモノがボタンだと気付かなかったら、確かに「ボタンを押してください」と言われても何をしていいのか分らない。画面にはボタン1つしか表示されていないのである。慣れていたら迷う要素は何もないのだが。