わざと試合に負けるということについて

ロンドン五輪で少し前に、女子バトミントンダブルスの試合で後の組み合わせのことを考えて故意に負けたチームが失格になるという事件があった。バトミントンの連盟が「勝つための努力を怠る」ことを禁止しており、これに触れるというのが理由になったようだが、だったら選手もそれを知っているはずなのだから、失格になるのは仕方ないだろう。

サッカーのなでしこジャパンが、次の組み合わせを考えて、勝ちに行くのではなく引き分けを維持するような試合をしたという。そこでちょっと考えたのだが、もしこれが引き分けではなく負けないと次の組み合わせが不利になるような場合だったら、故意に負けただろうかということだ。サッカーは相手も負けに来ない限り、故意に負けるのは簡単な競技である。キーパーがゴールを防がなければいいからだ。何ならオウンゴールというやり方もある。

このような戦略で世間一般に認められているものとしては、野球の敬遠がある。場合によってはそれで負け越し点になっても、最終的に勝ちに行く限り許される。しかし、故意に負けようとするのは八百長となり、かなり厳しい評価が与えられることになるだろう。もちろん、長いペナントレースの中で負け試合を想定することはあるが、それでも試合は一応勝ちに行こうとする。

あくまで私見だが、日本人的なスポーツ感として、故意に負けるというのはかなりの抵抗があるのではないか。勝ち負けではなく、フェアかどうかということを重んじるような気がするからだ。

以前、オリンピックの野球のアジア予選大会で日韓が試合をしたとき、事前に交換した先発オーダーを韓国が直前に大変更して話題になったことがある。日本の感覚だと、そもそも相手を騙してまでして勝とうという発想がないのではないか。フェアではないからである。正々堂々という条件は、勝つという条件に勝る。

先程の疑問に戻って、もし故意に負けた方が後の組み合わせに有利ならサッカーの試合で故意に負けるということが有り得るだろうか。それはフェアじゃないから有り得ないような気がするのである。

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