無我無中

私は一時期そういうのにハマっていたので、何も考えずに歩くことができる。座禅をしながら歩いているようなものだ。危ないと思うかもしれないが、歩くという行動の基本的なところは意識しなくてもできるようになっているらしい。感覚器官は他からの刺激を受け取っているから、何かあったときは反応できる。スマホに集中して歩く方がよほど危険だと思う。

何も考えないというのは、慣れていないと難しい。おそらくできない。今日のラジオで、座禅を始めたという人が話をしていた。座っているときにいろいろ考えてしまいませんか、と質問されて、考えていますと言っていた。それは座禅ではなく座っているだけだと思う。

無我無中というのはそういうことである。無我は自意識を捨てること。無中というのは、捨てさってどこにもいなくなること。どこにもいない。夢さえ見ない。

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